第6回
11月23日掲載
ケガの功名


  命の危機に直面した事、ありますか?例えば交通事故。私は、大学生の頃、車にはねられた事があります。高く飛ばされた瞬間、「私はここで死ぬ運命だったのかな」と思い、地面に落ちていきました。高さからして、死んでも不思議ではない状況だったにも拘らず、途中から、まるで複数の手に抱えられるようにゆっくりと落ち、全身打撲はしたものの、さしたる外傷もありませんでした。祖母は、「御先祖様が守ってくれた」などと言っていました。


その後、1日自宅で静養し、翌日大学へ行ってみると、以前とは違い、いつも歩くキャンパスや木々が白っぽく輝いて見え、先生も黒板も光っていました。そして、それまで持っていた悩みもこだわりも、全てどうでもよくなり、手や足があって、皆と話せるという、当たり前の事のありがたさが身に沁みたのです。この出来事は、私にとって、途切れないはずの日常を突然断絶し、それまでの価値観の転換を促す大事件でした。


日本近代文学の作家の中には、こうした、死、或いは、喪失を予感することによって与えられる視点を、「末期の目」(まつごのめ)と呼んだり、また、「あらゆる芸術の極意」は「末期の眼」だと捉えた人もいます。そして、西洋音楽の中にも、作曲家がそういう視点から感じ取った思想を込めた作品があります。文学の世界と音楽の世界を行き来する面白さを知ると、クラシック音楽の魅力、再発見です。事故で打撲はしたけれど、これがほんとのケガの功名!


 

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